ほげほげ挑戦日記

30代のおっさんが日々感じたこと、体験したことを記録していくブログ

おっさん 打ち切りを体験する

突然終わった。

 

打ち切りは、よく漫画やアニメ、ドラマ、CMでよく見る現象だ。人気がなく、予算を割けないことが主な原因だろう。他にもクレームが多くそれに耐えかねて終わることもある。

 

私はIT業界にいて、そんな経験をするなんて微塵も思っていなかったし、考えもしていなかった。先週までは・・・・・

 

私は、昨年4月からアプリ開発プロジェクトに参画しており、今年3月までの予定だった。開発者は、私ともう1人、計2人で行っている。プロジェクトの進め方は、仕様を明確にせず、客先の要望を全て取り入れ、機能を追加する進め方だった。客のリクエストに答えることは良いことだ。しかし、期限が決まっている中でやるとしたら大きな間違いだ。さらに大手ソフトメーカなら、客先にアドバイスし、機能をなくす等行うべきだった。

 

終わらない機能追加とバグ修正で3月までに終わらないだろうと誰もが思っていた。

昨年12月時点で、開発費用が1月までしか出ていないことは既に問題なっていた。

上の人(マネージャー)がなんとか2、3月の予算を出せたと言っていた。開発側も、中途半端に終わっても微妙だったので、覚悟を決めてやろうと思っていた。

 

しかし、一向に見積書が来ない。マネージャーに問いたところ、「本日そちらに書類が届くから」と言っていた。しかし、いつになっても来ない。そして1月3週目、実は出ていなかったことが発覚した。詳しいことは言えないが、どうやら違う案件の見積もりだったらしい。そしれ予算を全て使ってしまったらしい。

 

今週で1月も終わる。つまり、私は、このプロジェクトを急に去ることになる。2月3月の仕事は未定になったのだ。

 

とてつもなく理不尽な扱いだ。

 

まだ、私が正社員なので、給料が出るのが救いだ、しかし、これがフリーランスならゾッとする。来月から仕事がない状態で仕事を探さないといけないからだ。

 

現場のマネージャーも開発2人がぬけるので、開発は確実に止まる。新しく人を入れない限り誰も手がつけられない。

これが多重請負の恐ろしい状態である。末端の下請けに全てを任せ、下が抜けることで、土台が崩れる。つまり、プロジェクトが崩壊ことを意味する。

代わりはいくらでもいるからと言って、開発と言うプロジェクトの核となる部分を、末端下請けに全てを任せたことが生んだ悲劇だ。

また、我々が失踪した訳ではなく、上のミスで起こった出来事なので度し難い。

 

働き方を議論する前に、確実に仕事を終わらせるシステムを構築することが優先のはずである。経営者は、労働者の負担を減らすために、設備投資をしたり、人員増加、社内研修等を用意するべきである。

利益最重視のあまり、必要な部分を経費を削減し、現場に負担を押し付けている。

経営者・労働者皆一律給料が同じなら痛み分けだと少しは納得できるが、当然経営者の方が多くもらうのが、資本主義の理である。また、年長者が苦労してきた過去を次の世代に押し付けようとする思想も助長しているかもしれない。

 

不自然な状態は永続できない。

 

なぜなら、不自然だからだ。人間も動物であり、自然の摂理には逆らえない。社会システムもそうだ。歴史ある企業が、労働者を無碍に扱った結果が、現状の日本だ。

蓄積されたノウハウは生産能力のみで、労働者に対する負担軽減のノウハウは全くない。

労働者は労働意欲、学習意欲は共に皆無である。長時間労働で疲れて寝るだけの日々、更に休日は疲れて眠るだけ。最悪の場合、当然のように言い渡される休日出勤命令。

 

労働者を使い捨ててきた結果の人手不足がおこる

 

本来、人と人が助けあうのが社会のはず。具体的に言えば、足りない能力や時間を集団が補うのが社会だ。そのための手段が仕事なので、仕事に優劣がないのは当然だと思う。一方で、確実に優劣があるのが現実だ。同じような仕事があふれていて、誰でも出来る、需要少ない供給過多な仕事は、給料が安く、その逆は高い。

その差が、否応なく差別を生む。避けられない現実だ。

恐らく、この時代まだ続くはずだ。その終わりをみることはないだろうが、やれることといえば、抜け出すために這い上がるか、死ぬまで耐え続けることだろう。